SEIZY'S ダイアリー (ミュージシャンによる日本壱面白くミュージシャンっぽくない日記)
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唄を忘れたスポーツマン 外伝
どうも!SEIZYです!

いつもSEIZY自伝的ブログ小説を愛読されてるみなさま
ありがとうございます

第2部 中学生編
唄を忘れたスポーツマン
もとうとう先日、完結となりました
2部は思ってたより長くなりましたね

ここで第3部に入る前に
外伝をお届けしたいと思います


唄を忘れたスポーツマン 外伝

「1枚の写真 『パパ』」

中学2生にして、不良の道(ダークサイド)に墜ちた少年

この原因は
本編では厳しいバレー部での反発ってことになってますが
実はもうひとつデカい理由があるんです

ちょっとシリアスな話になりますが
ここはキーポイントですし
俺にとっても大切な忘れちゃいけない思い出です
やっぱり自伝ですから包み隠さず書こうかな...?と


今や有名(?)な少年の「おかん」
このおかんは少年がたぶん1歳にもならない頃に夫(実質上俺の父親ね)と離婚し、女でひとつで少年を育てました

朝から晩まで働く母親の偉大さをわかっていた子供は母親(この頃はママね)が大好きでちっちゃいながらも尊敬してました
だから幼い頃から反抗も口答えもひとつもしないで今に至っています

...1枚の写真があります

この写真から推測すると少年が2~3歳くらいの頃です
この時期に当然のようにママにも仲のいい男性がいました
彼氏ってやつですね

やたら背が高くてスマートで男前でカッコよかった記憶があります
ママがまだ25~6歳くらいの頃です

子供にようやく自我ができてきた頃に現れたその人はいつも家に来ては遊んでくれました
少年はその人を本当のお父さん(この頃はパパね)だと思ってました

その人を「パパ」と呼んでいた記憶が今もはっきりとあります

パパが家に来るといつも忙しそうな顔つきのママが綺麗になって、笑ってて...
子供ながらにそれが嬉しかったんでしょうね

そのパパが家にこなくなったのが4~5歳ぐらい?
幼稚園に行ってた頃でした
「せいじのパパは交通事故で死んだ」
と教えられました
悲しかったです

その人がパパではなく彼氏だったと聞かされたのは
小学生の3~4年の頃

「そういえばパパ(あの人)は今何をしてるん?」と何気なしに聞いた俺に
本当に死んだんだと聞かされたのが高校生のとき
母親と付き合ってた時に死んでしまったそうでした

原因は交通事故じゃなかったけどね...

ショックでした...

子供なりにその人が好きだったんでしょうね

そういえば幼稚園の時にママと「半家出」みたいなことになって
ボロボロのアパートに住んだことがありました
引っ越しの時はパパもいたんですが
一緒には住んでません
そして1年くらいで自宅に戻りました
亡くなったから?
俺にはわかりませんが今思えばあの引っ越しは
駆け落ち?
...の準備?
だったんでしょうか?
家が厳しかったからね...

時は流れて中学生になって
再び母親に彼氏っぽい人ができたのを境に
少年は反発しだすのでした

いつも優しくしてくれて
小遣いなんかもくれましたが、あまり好きになれない人でした
やはり少年も思春期ですからね

ちっちゃい頃
パパじゃないけどパパと呼んでて大好きやった
「あの人」
パパやと思ってた
「あの人」

ガキなりに比べてしまったりもするんでしょうね

息子もそろそろ自立する歳やし、その息子さえ賛成ならば再婚するつもりだったんでしょう

「せいじ、○○さんがお父さんになったらどうする?」

おかんの突然の問いに
「俺にお父さんは一生いてへんし、一生いらん」
「おかんも男はコリゴリやてゆうてたやん」
と言った俺の言葉

これが俺の今まで唯一母親に口答えした言葉です

おかんは辛かったと思います

そのあとなぜか
近くの汚い川(和歌川)まで走って行って泣きました
(この頃から人前で涙は見せません!)
前に好きやった人(パパ)が死んだなんてまだ知るよしもないし...

2人家族
恋もせずずっとひとりで俺と店(家業)を背負って
やっと気に入った男性ができても息子から反対され...

母親に悪かったという気持ちと
どうしたらええんかわからない気持ちが
少年の心にも痛いほどでした

俺が家を出たら好きな人と幸せになれるんかなぁ~
とも思いました

クラブをやってもしんどいだけやし
気分もいまいち晴れてこない...
たまに家に来るその人とも会いたくなかったのもあって
家にいるのがいやになり
その頃からちょっとずつ反発をしでかしていくようになります

でも普段は明るい親子でした
ギスギスした感じもなかったし
やっぱり母親には頭が上がりません(笑)

今の俺にはお父さんと呼べる人がいません
唯一、パパと呼んでたあの人が今も俺の中でのお父さんです

ちなみに本当の親父は生きてるみたいです
俺が22歳くらいの時、家業を手伝っていた時に対面したらしいですが
向こうは知ってても
なんせ俺は親父の顔を知らんから気がつきませんでした

後でおかんに
「おとはん来てたんやで 知ってた?」
って言われてびっくらこきました(笑)

そんな俺は親父が嫌いです
どんな人か知らんけど嫌いです
なんかわからんけど
おかんに、俺にいろいろしんどい思いをさせた親父が嫌いです

俺がもっと有名になって
もし、親父がどこかで俺に気づいたら

ぶん殴ってやるんです!
これは子供の頃から決めてます

昔から家には少年の父親の写真はひとつもありません
おかんにもどんな人かとか聞いたこともありませんし聞けません
だから俺も父親の顔も名前も声も何ひとつ知らないんです

でも、キリンに餌をあげてる幼い俺を肩車してるあの頃少年が「パパ」と呼んでいた人が写った写真がなぜか1枚だけあります
生まれて初めての肩車
たぶん俺にとって1度きりの肩車
写真の俺もパパもメッチャ嬉しそうな顔をしています
まるで本当の親子のそれです

親父やパパ(彼氏)の写真は全て処分したらしいんですが
この「肩車の写真」は
唯一「俺が写ってる」
から処分せんかったんかな...?
と今になって思います
たった一枚の写真に母の愛を感じます

この写真は俺にとって大切な宝物の1枚です

思い出が「パパ」のまま止まってるんで今もパパという表現で書きました
今でも間違いなく俺のパパです
だから...
俺のパパは俺が4歳くらいの時に死んだんです

幼い頃から音楽が、歌うことが何よりも好きだった少年
一時は不良の道に入った少年
もう救いようがないんじゃないか?
ヤクザにでもなるしかないんじゃないか?
というところを救ったのもやはり音楽とオカンの愛です

今回この自伝的ブログ小説を書くにあたって、遠い忘れかけてた大切なことがたくさん思い出されます

パパのこと...

ちょっと記憶が薄れかけてました

この自伝的ブログ小説を書いてよかったと思っています

今もこれからも
俺はパパとママを愛しています

...第3部へつづく


おかん談
(おかんが以前俺に言ってくれた言葉です)
せいじが曲がらんとちゃんと育ってくれたのは
バンドのおかげや
そやから音楽はせいじと切っても切れやんもんなんや
途中私も何回か反対とかもしたけど
音楽がなかったらせいじはアカンようになってるわ
せいじと音楽...
ウチらがどうこうできる関係やないわ

SEIZY談
はい!今でも親不孝もんのドラ息子です
ごめんなさい(笑)
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コメント
この記事へのコメント
回答編
ヒーローやなんてそんな...
ありがとうございます

俺もそうだったんですが
父親がいなくても子供はちゃんと守るべきものも、
愛するべきものも、
大切なものもわかってるもんです

強くてたくましく
気の優しい人になると思いますよ
俺みたいに途中で道を外すことがあっても大丈夫
経験者は語る!です!

なんかあっても
ここに「ヒーロー」がいます!!
2011/03/04(金) 19:57:01 | URL | SEIZY #l9XPUgGc[ 編集]
大事な存在
今回のブログを読んでいて
ウチの一人息子の事を考えていました。

私一人で育てていますが
「やっぱり男親がいないとどうしようもないのかな…」と思い詰める時が
いつか来るんじゃないかという不安を
抱えながら何とかやってます。

成長していくにつれて
壁にぶち当たる時は必ず来るはずだから
何か一つ
譲れないものを見つけて欲しいと願って止みません。

…取り敢えず、今の私に出来るのは
SEIZYさんという
カッコいい生身のヒーローを見せてあげる事くらいかな!
今後はライブも行ける様に
色々頑張ろうっと!
2011/03/04(金) 14:25:03 | URL | セノールマンキ #-[ 編集]
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